沿革
Company history
事業変遷
1996年 ベースドメイン取得開始
1998年 INnavi 開発着手
2006年 INnavi イントラネット運用開始
2007年 INnavi VPN 接続開始
2008年 INnavi rev.1.4 リリース
2008年 自然免疫研究所開設
2010年 ダイヤモンドPROインベストメント開設
2011年 INnavi(第2世代)リリース
2011年 Diamond Proシリーズ開発開始
2012年 Wave Medicine online 開始
2012年 Wave Music series 創作開始
2013年 CLOUD Doctor β版リリース
2014年 INnavi(第3世代)リリース
2015年 INnvai TSX β版リリース
2023年 事業再編
会社変遷
平成7年12月
株式会社ヒューマン・インターネット設立
平成7年12月
斎藤隆 代表取締役就任
北村健一 代表取締役就任
斎藤敦子 取締役就任
平成8年3月
鬼山照男 代表取締役就任
平成10年10月
斎藤竜太郎 取締役就任
平成11年8月
斎藤涼二 取締役就任
平成12年5月
広瀬直英 取締役就任
平成17年6月
斎藤涼二 代表取締役就任
平成18年9月
チョロンバト・オユンチメグ 取締役就任
平成18年10月
東京都新宿区に本店移転
平成23年6月
東京都豊島区に本店移転
平成28年9月
東京都新宿区に本店移転
令和4年3月
川島努 代表取締役就任
歴史
インターネット創成期から独創的なインデックスサービスにて創業
メディカルAIなどクラウド中心に独創的なシステムを開発
創業者の斎藤隆
斎藤隆による創業
当社は医学博士でもある斎藤隆が1995年12月に設立し、新しいインターネットサービス「INnavi」事業を1999年にスタートしました。
斎藤隆は埼玉県さいたま市(旧大宮市)に拠点を置く東西医学ビルクリニックの創業者でもあり、東北大学医学部出身の初代院長として西洋医学に漢方の東洋医学を取り入れるなど独創的な医療を提供しておりました。
そのような多彩な才能を生かしマルチドメインを中心とした斬新なディレクトリ型サービスとして開発し、独創的なサービスを提供してまいりました。
より独創的なサービスへと多様化し発展
その後、時代の変化によりマーケティングの観点からSEO要素が濃くなり、同時にサーバー処理も肥大化、BigQueryなど多くの処理をするための技術を取り入れ、システムを増強しINnaviは第2世代、第3世代と進化を進めてまいりました。
また、医療の分野に精通している斎藤隆は、多層並列処理アルゴリズムを医学に応用した波動医学の基礎研究やデータ解析を経て、AI解析を導入したパッケージCDSβ版、CLOUD Doctorへと別の進化も遂げました。
同時に、その過程で生まれたソリューションをITを中心に連携しつつもより専門性を高める必要が徐々に出はじめました。もはや当社だけでは開発できる範疇を超えはじめ、斎藤隆を中心に各方面に働きかけるようになりました。
先行投資により赤字になろうとも最先端の技術にチャレンジするその創業姿勢に、徐々に大手通信会社や大学病院が協力体制を示し、データやモジュールを無償提供してくれたり、試験環境を無償貸与してくれたり、多角的な開発が一気にステージを駆け上がろうとしておりました。
創業者 斎藤隆
東北大学医学部卒
医学博士
株式会社ヒューマン・インターネット 初代代表取締役社長
東西医学ビルクリニック 初代院長
医療法人社団東西会 初代理事長
株式会社紅花企画 代表取締役社長
その他関連会社を多数経営
独創的なアイデア、特に異業種への転換、発想が豊かであり、不可能はないとして、不屈の魂でシステム開発を推進する等、ジョブズ似の強力なリーダーシップ型経営者。
言葉には魂があるとして、「言霊」を唱え、実際に「言葉には魂があるから、医学の世界にもインターネットの世界にも共通する」と常人では理解不能な指導をする一面もあった。(IT Power Force2018エンジニア談より)
また、近い将来パンデミックが起こることを2010年の段階で予言しており、当時より、複数の化学薬品の反応速度や結合、ウイルス研究など解析し、鼻腔に塗布又はN95マスクに塗布して備えるように指示を受けていたことがあった。ただ、当時はSARSと同系のコロナウイルスではなく、エンベロープ型ではあるものの、H5N1型高病原性鳥インフルエンザの亜種等A型の可能性が高いと予測していたので、分散システムによる膨大な演算処理を要する研究結果は、後に発生したMERSやCOVID-19にはあまり役にはたたなかったのが残念である。しかしながら、当時、斎藤隆の予言によりスタッフが研究したウイルスの不活化研究が10年後に製品開発の際のヒントとなり、非常に役に立つ結果となった。新型コロナウイルスが武漢から世界に一気に広まる様子は、「中国の家畜が危険だから、すぐに全世界に広まる」と予言していた通りとなり、先見能力の高さがうかがえるエピソードとなった。
Bit23 Cloud
暗黒期
創業者の他界による混乱と停滞
しかし、その拡大を急いだことが体を蝕んだのか、創業者の斎藤隆は病気を患い、ついに長期に渡り業務から離脱してしまいました。
取締役でもあり、同族企業を複数経営する長男の取締役、斎藤竜太郎及び、次男の代表取締役、斎藤涼二の判断により、ビッグデータを支えるサーバー設備の大半が撤去解体され、研究開発の拠点の四谷データ室も閉鎖される結果となり、システム開発は停滞し大きく後退いたしまいした。
創業者の斎藤隆と長男の取締役、斎藤竜太郎は親子でありながら、仲が悪く、十数社ある同族会社の経営にて激しく対立する一面もあったため、創業者の離脱により当社の事業は停止状態になり、消滅の危機に瀕しました。
斎藤隆が帰らぬ人となると、東西医学ビルクリニックを中心とする多くのペーパーカンパニーや同族会社は事実上、長男の斎藤竜太郎が牛耳る形となりました。芳香療法分野のデータ解析や波動医学のパルス解析、音楽療法等メディカルAIとしての研究開発の多くは斎藤隆の逝去と共にそのまま事実上終焉を迎えました。
黒幕の終焉
INnaviをはじめとする一部のシステムは同族会社の中心核「東西医学ビルクリニック」に利用されており、ネットの評価や検索順位を意図的に上昇させる複数のサービスを利用していた為、停止を免れ、システム稼働を維持しておりました。しかしながら、2018年頃になると、徐々に諸問題が露呈しはじめ、締め付けがきつくなりはじめました。更に父親の死によりグループ企業を牛耳る長男で取締役の斎藤竜太郎により基幹システムドメインを放棄するよう指示がありました。永続的なサービス提供はいよいよ困難を極め、2020年にINnaviを終了しチームは解散いたしました。
その後しばらく暗黒期は続いたものの、創始者の長男である取締役の斎藤竜太郎及び次男である取締役の斎藤涼二を背任となし排除する決議がなされ、黒幕の中心核である東西医学ビルクリニック(医療法人社団東西会)や斎藤一族による多数の同族企業の影の支配から脱する方針となりました。同時に同族会社とのしがらみで長く悩まされていた反社会的勢力とは決別する姿勢を貫く方針に転換しました。
(DP/K.Nakamura著「漢方診療の闇と強欲」及びWikipediaより一部引用)夜明けと新たな旅立ち
新体制によるスタート
2023年2月、旧経営陣との話し合いによる諸問題の解決は困難と判断し、当社と斎藤一族の同族会社による過去の諸問題は、私たちとは慣れ、捜査機関と専門家の別のステージへ引き継がれることとなりました。旧経営陣と完全に決別し、長期に渡る停滞と混乱はようやく終わりむかえ、新体制へと立て直すことから着手し生まれ変わろうといたしました。
2023年4月、ITを中心とした4つの事業カルテットへと再編成を行い、新たな経営陣のもと新たな一歩を歩み始めました。
創業者の斎藤隆はこの世を去りましたが、その意思を引き継ぐ有志が集結し、創業者の壮大な夢を未来で実現できる企業に成長したいと考えております。
お伝えしましたように、当社は残念なことにこのような黒歴史のある会社です。
他の企業と異なり、一族によるグループ支配に苦しむ長い暗黒期を経験しました。
このような内部事情をお伝えすることは、多少抵抗もございましたが、今後お取り引きする企業様やご利用いただくお客様に、より深くご理解いただくために、包み隠さず正直にお伝えすべきと考え、あえて当社の黒歴史として紹介することにいたしました。
たいへん辛い厳しい時期であり、多くの理不尽さを感じましたが、一族の利権や金、相続に絡む思惑や欲が渦巻く中で、多くのことに気づかされ、人間的にも成長できる機会でもあったとも感じております。
暗黒期により、システム開発等は大きく後れを取ってしまいましたが、AIを様々な分野に応用し、ユニークなサービスを提供できる企業を目指して努力を欠かさぬよう邁進してまいります。